月から一石

 

タマ子とフクちゃん

 

 (前略)


 あ、おりました、タマ子が。また、あんな、橋の欄干(らんかん)の上なんかに…。
「これ、これ、タマ子。また勝手にこんなとこまで来てたのか。あんまり私を困らせるんじゃないよ。まさか、早まったことをしようとしてたんじゃなかろうね。ほれ、さっさと降りてきて、皆さんにご挨拶(あいさつ)しなさい」
「コォーッコ、コッコッコッコ、めんどりタマ子と申します」
「よし、よし、タマ子。しかし、きょうはまた、なんでいなくなったんだい? 何か不満でもあるのか? …黙ってたらわからんぞ。言いたいことがあるんだったら、はっきり言いなさい」
「私、知ってしまったんです、私たちニワトリの悲しい過去を。コッコ」
「ほぉ、どんな過去だい?」
「とぼけるのはやめてください。コッコ」
「とぼけてなんかないよ。何でも言ってごらん」
「では、遠慮なく。コッコ。私、裏山でフクロウのフクちゃんから聞いたんです。
フクちゃんは、川向こうの山から最近こっちの裏山に引越してきたらしくて、私が、
『フクちゃんはいいな、自由気ままに生きられて。私なんか、十数年は生きてきたけど、いつトリ肉にされるかわからなかったし、わずか3・3㎡ほどの狭い小屋に、5羽前後も入れられて、毎日が単調でつまんない。コッコ』と言ったんです。
そしたら、フクちゃんが言うには」
「もったいないこと言うもんじゃないよ。ホーホー。タマちゃんたちニワトリのご先祖はねえ、それはもう悲惨な目にあっていたんだよ。ホッホー」
「ホーホーとかホッホーとか、何をそんなに感心しているのですか? コッコ」
「いや、タマちゃん、これは別に感心しているわけではなくてね、まあ、なんというか、フクロウの口癖だから気にしないでね。ホーホー。それで、山の言い伝えによるとね、何万年も大昔には、あんたたちのご先祖も私らフクロウと同じように野生で生きていたんだけど、この星の人間さんたちはあんたたちを捕まえて庭先で飼うようになったんだね。あんたたちニワトリは、私らと違って、たまごを年に10個も20個も、もっとそれ以上でも産むし、しかも、体の割には大きくて栄養豊富なたまごだし、たまごを産まなくなったらうまいトリ肉になるし、えさが切れても草や虫を食べて逞(たくま)しく生きるし、勝手に遠くに飛んで行かないし、雄鶏(おんどり)は毎朝けたたましく鳴いて目覚ましになる、というので飼育に持って来いだったわけだね。ホッホー。
その点、フクロウは無愛想で、たぶん味もまずくて助かったわけ。ホッ。
あ、このホッは、『ホッと一安心』のホッだけどね。
そんなわけで、あんたたちは人間さんたちに捕まりはしたけど、その後は割と大事に飼われてきたんだよ。あんたたちのご先祖は、庭先に小屋を作ってもらって、昼間は出入りも自由なその小屋には、十分な運動スペースとあんたたちが飛び上がれる高さの止まり木があって、あんたたちは、夜になると決まってその止まり木の上で安心して寝たもんだよ。雨露をしのげる屋根もあるし、お日様の光は入ってくるけど、たまごやひよこを狙(ねら)って蛇(へび)や鼬(いたち)などいろんな天敵が入ってこないように、手厚く金網を張ってあったもんだね。
『庭には二羽ニワトリがいる』なんて早口ことばまで作ってもらってね。今のタマちゃんたちの小屋はその復刻版なんだよ。ホーホー。
あんたたちニワトリのご先祖は、人間さんたちに乱獲もされず駆除もされず、実に上手に共存してこられたほうだと思う。ホッホー。しかし、それも永くは続かなかった。

 人間さんたちは、途中から、経済効率とやらの虜(とりこ)になってしまったんだね。それで、
『年に10個や20個のたまごなんて悠長(ゆうちょう)なことじゃなくて、100個でも、200個でも産めよ』というわけで、品種改良を重ね飼育方法を工夫して、たくさんたまごを産む専門のニワトリに仕立て上げたんだね。そして、小屋の代わりに何百、何千羽も飼える鶏舎(けいしゃ)を建てて、1羽ずつ金属製の狭いケージに入れて、ただひたすらたまごを産ませたんだね。それでもまあ、この頃までは、まだましなほうだった。鶏舎の通気性は良くて、外の景色も見えたし、人間さんたちも、『こんな狭いところに閉じ込めてすまないな。たまごを産んでくれてありがとう』という気持ちでお世話してくれたからね。しかし、さらにもっと経済効率が求められるようになると、もうそんなことも言っておられなくなった。
 鶏舎は、もっと大きくなり、一か所で何万、何十万羽も飼えるほどの規模になった。そうしないと養鶏(ようけい)業として生き残れないわけだね。衛生上のことや外への臭いのことなんかで鶏舎から窓はなくなり、ニワトリたちは生涯、日光を浴びることもなく、無理やり人工の薄暗い照明で管理され、一つのケージ(約25㎝×35㎝の広さ)に『もっと産め、もっと効率的に産め』と、2羽ずつ詰め込まれた。それは、後ろに向きを変えるのも難儀な狭さなんだね。少し広めのケージに『まだまだ甘い、もっともっと効率的に産め』と、5羽も6羽も詰め込むのも珍しくはなかった。何羽だろうと身動きできないことに違いはない。そんなケージが少しずつ後方にずれながら2段、3段、4段と重ねてあるんだね。

 鶏舎のケージの足元は、糞尿が落ちるように格子状になっていて、たまごが効率的に回収できるように前に傾斜している。ニワトリたちの爪は土の上で動きまわれば自然にすり減るものなのに、細く曲がりながら伸び放題の爪は足元の金属ケージにいちいち絡(から)まる。
 羽根はケージですり切れ、汚れ、羽毛が舞い、アンモニア臭がたちこめ、身動きできず、足元は不安定で爪がひっかかる。目に映るものは鶏舎内の一部と同じ境遇の仲間だけ。毎日毎日同じ配合飼料を食べ、決して孵(かえ)ることのないたまごを用済みになる日まで産み続ける。本当は羽を広げたいのに、砂浴(すなあ)びをしたいのに、たまごは隠れた場所で産みたいのに、そんな願いもかなうはずはない。それは、どれほどの苦痛、生き地獄だろう。
 苦痛はひなのときに始まる。鶏舎にやってくる前の2か月半、メスのひな(ひよこ)たちは、ひな用の鶏舎で過密飼育されるわけだけど、その最初に嘴(くちばし)を短く切り取られる。
 ひな同士がつつき合って傷つけないようにするためにね。人間さんたちは、それはもう大勢のひなから大急ぎで切り取るから、いちいち麻酔なんかしないし、いびつに切ったり舌まで切り取ってしまったりもした。

 

 ニワトリたちは、生まれて5か月たった頃からたまごを産み始め、本当に1年の間に300個くらいのたまごを産む体になった。もはや、強制連続産卵鶏とでもいったほうが的確かもしれない。そうやって1年間、無理してたまごを産み続けた後は、たまごを産むペースもたまごの質も落ちてきて『採算が合わない』というわけで、もうその時点で殺されてしまったんだね。ところが、そこから暗闇で10日前後も絶食させて、それで餓死しなければ羽根が生え変わって再び質のいいたまごを産み始めるので、再雇用されることも普通によくあった…強制換羽(かんう)というらしいね。それでも半年後にはまた採算が合わなくなる。まあ、どっちみち長くて2年ちょっとで殺されたんだね。
 殺された後はトリ肉になるのかというと、そうじゃなかった。たまご用のニワトリは、『効率よくたまごを産む』という目的で品種改良されたので、失礼ながら、その昔のニワトリに比べると味も肉付きも落ちたんだね。それで、せいぜい加工食品やペットフードに混ぜて使うしかなかった。
 では、トリ肉はどうしたかというと、人間さんたちは、たまご用のニワトリ(レイヤー)とは別に、これまた品種改良して、食肉用のニワトリ(ブロイラー)を登場させていたんだね。
 こちら、食肉用のニワトリは、『いかに早く肉付きのいい柔らかいニワトリに育つか』が重要なんだね。ニワトリは本来、たまごから孵(かえ)ってから大人のニワトリの大きさになるまで、半年近くかかるところ、この食肉用のニワトリたちは、何と1か月半から2か月で丸々太った大人の大きさになってしまう。鳴き声だけなら、まだまだひよこなのに。
 たまご用のニワトリたちは、たまごの効率的生産のためにケージで飼われるわけだけど、食肉用のニワトリたちは、ケージは不要で、専用の鶏舎の地面でぎゅうぎゅう詰めにして飼われる。どのくらいぎゅうぎゅうかというと、3・3㎡あたり、50羽前後になる。
 しかも、えさを休みなく食べさせるために、人工の照明を毎日23時間とか24時間つけっぱなしで浴びせられる。えさには抗生物質や成長ホルモン剤や合成添加物も入っている。
 抗生物質というのは、ばい菌をやっつける薬なんだけど、実は成長を急がせる目的もある。ニワトリたちは、運動不足と不自然なえさで急激に大きくなるから、骨の発育が追いつかず、自分の体重を支えられなかったり、ほんの少し歩くこともままならなかったりする。
 そうやって、1か月半から2か月ほどたった頃に殺されて若鶏(わかどり)という商品名で店に並ぶ。確かに若い!

 

 本来なら15年でも20年でも生きられるのに、1年半か2年そこらでたまご用のニワトリたちは殺され、1か月半か2か月そこらで食肉用のニワトリたちは殺される。しかも、その短い一生に自由は半日たりともなく苦痛とストレスの連続なんだね。
 ニワトリたちは、この世に青空があることも、雨や雪が降ることも知らず、地面を這(は)う虫の姿も、草のにおいも、風の感触も知らない。だけど知らなくたって、全身は疼(うず)くように覚えていた…遠い昔、土や草の上を駆け回り、地面をつつき、いつでも羽を広げ、好きなだけ砂浴びしては体をきれいにしていたことを。だから、自分たちもいつか自由になれるかもしれない万々分の一の可能性に期待を持ち続けていたんじゃないだろうか。

 

 最後の日、ニワトリたちは運び込まれた屠殺(とさつ)工場のオートメーション・コンベアのフックに生きたまま次々、逆さ吊りにされる。電気ショックで気絶させられ、頚動脈(けいどうみゃく)を切られ血が抜かれていく。次に60℃の湯をくぐって羽根をむしり取られるんだね。電気ショックで気絶せず長い時間苦しむこともある。
 こんなこと知りたくなかっただろうけど、ニワトリだけじゃなくて、牛だって豚だって、大規模なところほど、似たような飼い方、似たような殺し方をされていたんだね。例外もあったと信じたいけどね。

 

 最後にオスとメスのことを話すよ。食肉用のニワトリたちは、オスとメスが半々で、長くて2か月の短すぎる一生だけど、ともかく、オス、メスともに人間さんたちに生かされる。
 一方、たまご用のニワトリたちのうち、たまごを産むのは当然、メスだけなんだね。
 では、たまご用のニワトリたちのうち、オスはどこへ行ったんだろう?
 たまごから孵(かえ)るやいなや、専門職の人間さんたちは、ひよこを手に取って、オスかメスか瞬時に判別する。オスのひよこはそのまま、専用の箱や袋へポンポン放り込まれていく。箱や袋は満杯になると、どんどん上に積み重ねられていく。
 ひよこたちは、同じ日に生まれた仲間たちの重みで圧死していくんだね。
 電動ベルトの上に落とされて、なすすべもなく流されるひよこたちを、生きたまま一挙に羽毛ごとミンチにしてしまう機械(シュレッダー)も活躍していた。
 オスのひよこたちは肥料になるか産業廃棄物として処理されたんだね。あれもこれも人間さんたちのすることなんだね。人間さんたちは、どうしてこんなに淡々と残酷になれたんだろう? すべては経済効率のため? 豊かな食生活のため?
 悲しくてもう、ホーホーもホッホーも出てこないよ」

 

「フクちゃんはここまで一気に話すと、『あー、腹へった』と言って、落ち葉がガサガサ動いた斜面に音もなく飛んで降りたかと思うと、捕まえた野ねずみをムシャムシャ食べていました。フクちゃんは、いいかげんな話をしたのですか、ココッ?」
「フクちゃんの話したことは本当だよ。現実は、もっと残酷だったかもしれない」
「すると、そこで働いていた人はみんな、こわい人たちだったのですか、ココッ?」
「それは違うよ。たいてい、その人たちにだって生活がかかっていて、ニワトリがかわいそうなんて思っていたら、たちまち、自分たちが生きていけなくなったんだ」
「ど、ど、どういうことですか、ココッ?」
「消費者は、少しでも値段の安いたまご、安いトリ肉を求めていた。小売業者も中間業者も安い仕入れ値を追求していた。ニワトリは、たまごもトリ肉も生産者による品質の違いがわかりにくいうえ、成長サイクルも早いから余計そうなったんだね。一方、養鶏に係わる人たちは、たまごやトリ肉が売れて利益が出なければやっていけない。安くてしかも利益を出すには徹底的に合理化する必要があったんだ。合理化のためには、ニワトリたちの『命』の残酷は見て見ぬふりするしかなかった。現場で働く人たちも、ニワトリのことを『物』だと思い込まなければ何年も同じ仕事を続けることは難しかったのかもしれない」
「どうすることもできなかったんですか、ココッ?」
「そんな養鶏方法に疑問を感じて、できるだけ自然に近い養鶏方法を模索した人たちもいたんだよ、改良型のケージとか平飼(ひらが)いとかね。ところが、場所や設備やえさや手間ひまにうんとコストがかかるので、経営として成り立たせるには、たまごもトリ肉も値段が2倍から5倍以上にもなった。だから、そんな食品のほうが安全で本来の栄養や味わいがあるとわかっていても、消費者の誰でもが日常的に買う気にはなれなかったんだ」
「値段とか利益とかコストとか、つまり、そういうもののために私たちの『命』は無視され続けていたのですか、コッコ?」
「そのとおりだったんだ、タマ子。ニワトリだけじゃない、牛も豚も他の生き物でも、『お金』のために、私たちはその『命』を物のように扱っていたんだ。

 

 その一方で、見渡せば私たちの国にはあらゆるところに食品の無駄(むだ)があった。
『命』を仕方なくも積極的に無駄にしている場面がいたるところにあった。食品廃棄率は25%にもなっていた。品揃(しなぞろ)えが悪いと思われたくないから、多めに仕入れ売れ残ったら廃棄した。多めに作って手も付けずに捨てられる食べ物があった。損しないよう、その分の値段は上乗せしてあった。スーパーマーケット、デパート、ホテル、飲食店、どこでも同じようなことをしていた。多くの経営者は後ろめたい反面、そうやって利益を搾(しぼ)り出さねばならなかったんだ。廃棄される食品の半分は一般家庭からの残飯だった。生きる自由を奪われた動物たちがいたのに。世界では毎日何万という人が飢えで死んでいたのに。
 食べ物に限ったことではなかった。大地や水辺も、動物も植物も、私たち人間同士でさえも、『お金』のために『命』をほいほいと犠牲にしていたんだ、ありとあらゆる場面でね。
 それらが本当に必要かどうかは、二の次、三の次で、利益効率、当面の経済効果、目先の雇用創出、手放したくない利権などのために、どれほどの命を、どれほどの自然を無視し、痛めつけ、殺してきたことだろう。過度な農薬、過度な化学肥料、過度な医薬品、過度な添加物、過度な消費促進、原子力発電所、軍事基地、新空港、大きな公共工事、中くらいの公共工事、小さな公共工事…」

 

「ご主人様、いつまでもブツブツ言ってないで、ちょっと教えてください、コッコ」
「なんだい?」

 

 (後略)

 

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                     月から一石 One stone from the moon